- Home
- コラム
コラム
とある塾様での講演会でのこと
先日某塾様にて国語の指導法に関する講演会行いました。 講演後、ある講師(女性)が私のところにつめより「あなたの国語教育は間違っています」と。 「本当の(国語)教育とは、生徒と同じ立場に立って、一緒に考え、学び、時には笑い、泣き、励まし、そういった信頼関係の中で育まれるものです」 「だから、私は(生徒と一緒に考えるため)予習は一切いたしません」 と。 正直、私はただただ唖然といたしました。 学校教育の現場であるならともかく、学習塾では成績向上と志望校合格が第一でなければならない。 そのためのノウハウを提供するのが講師の役目だと私は考えています。 これを「上から目線」だと言われれば確かにそうなのかも知れませんが・・・。 生徒が求めているのは果たしてどちらなのでしょうか? 私は少々自信を喪いかけましたが、 生徒、及び保護者様が求めて(授業料をお納めして)いるのは、やはり成績向上と志望校合格かと私は思います。 少々極端な話でしたが、そのような考えをもった講師(先生)がいらっしゃるのも事実です。 そのような先生に「洗脳?」され教わっている生徒さん、気づいて下さいね!!
作文指導と国語指導(AO入試)
国語指導の中で「作文」指導のなかで国語力をつけていく、という指導法がございますが、 結論から申し上げます、 読解力(国語力)の延長線上に表現力(作文)があるのです。 小学生で作文の非常にうまい児童は、多くはそもそも国語力があり、また読書量も多いです。 しかし、作文はいい評価を得られるが、問題を解くと・・・という児童もいます。 それは独自性をもっていますが、他者の書いたもの(文章)を読解することを回避しているから、 作文は書けるが問題は解けないという事態に陥るのです。 いずれにせよ、正しい読解力を持って文章が読める(読書も含む)ようになれば、 読解問題が解けるようになり、その延長線上で作文力も身につくものです。 さて、大学入試においては「作文」という教科はございません(記述・論述は作文とは言いません)。 「作文」試験に近いものが、小論文等を書かせるAO入試かと思われます。 そこでAO入試ですが、以下の2つに大きく分かれます。 1)上位校AO入試・・・教科試験では測ることのできない個性(発想力・知識力・独自性・経験など)を見抜く試験 2)下位校AO入試・・・ただの生徒(受験生)集めの金儲け まず、2)の下位校AO入試では、通常の教科試験に諦めた生徒がこぞって受けたがります(ひょっとしてAOだったら・・・)。 そのような生徒は、下位校にもかかわらず、合格できません(できたとしても下位校です)。 そもそも通常の教科試験を諦めた生徒が「大学」に行くこと自体が問題だと思われます。 では、1)上位校AO入試(医学部等の2次小論文等も含みましょう)はどうでしょうか? 合格する生徒に共通して言えることはまず「読解力」のある生徒です(私は国語しか見ていませんが、成績を見ると他の教科も成績優秀です)。 それに付け加えて、「強烈」な「発想力・知識力・独自性・経験」などがある生徒です。 AO入試を考えられている皆さん、上位校AO入試に合格するには、討論をしている場合ではありませんよ。 通常の教科力(国語なら読解力)の上に、「作文」(討論)があるのですよ!!
学校の国語の先生になりたい
以前、学校の先生になるため、教員採用試験を目指す大学生・社会人を指導していたことがございました。 そうですね、約7割が、学校の先生の影響を受け 「僕(私)も○○先生のような生徒想いの先生になりたい」 「部活で生徒と一緒に汗をかきたい」 というのが動機でした。 しかし実際はそのような学生(社会人)はほとんど教員採用試験に合格いたしません。 むしろ「専門教科をしっかり教えたい」という学生(社会人)の方が合格率は高いです。 授業において、指導案の書き方から模擬授業まで徹底的に教えていきました。 そして、教育実習に行き授業を行いました。 また、教員採用試験に合格し現場で実際に教壇に立ちました。 その彼ら(彼女ら)が口をそろえていくのが、 「先生の授業はわかりやすいと生徒から言われますが、 先輩教諭・指導教官からは『ここは塾じゃないんだから』などとしかられるのですが・・・」 と。 本当に生徒の学力を伸ばしたい